会員の中には、標題の「イルカ丘陵」「つながりの森」「にぎわいの森」という言葉を、聞いたことが無い方がいるかもしれません。又、当会が自然環境を少しでも良くしようと活動しているという事を知らずに、森で力仕事をしてストレス発散も兼ねた、趣味の活動の場だと誤認している人がいるのではないかと、少々気になってきました。そこで、「イルカ丘陵」や「にぎわいの森」などについて、もう一度少しずつ会員に伝えてゆかないと、当会が『木を切る楽しさだけの会』になってしまうのではないかという不安を感じ始めました。

参考までに、当会の活動方針は定款にもありますが、次の通りです
『この法人は、横浜市長が承認する「森づくり活動年間活動計画」に基づき、釜利谷市民の森・金沢自然公園及び必要に応じ各地の山林・緑地に対して、保全・植生回復と生物の保護に関する活動を行い、必要な調査・学習・作業や啓発活動等を実施し、自然を守り育てて生かし、森の恵の有効活用を通して自然に親しめる場を広げ、自然を愛する人々を増やすことを目的に活動する』

さて、長野県の深山奥山の様に、山の向こうにまた山があってという「深山構想」とは違いますが、「それなりの里山」としての管理、いわゆる「里山での森づくり」がとても大切なのだということを伝えてゆきたいのです。
ところで、「深山構想」といえば、金沢区でも何年か前に「奥山構想」として提案されたことがあります。
それは、『円海山中央部を手つかずの原生林にして、その周辺の里山をボランティアで管理し、森と民家とのつながりの部分を維持する』という考え方を横浜観察の森レンジャーが主張し、横浜里山研究所「NORA」のメンバーが賛同して推進しましたが、その構想は未だに実現されていません。
金沢区の森は山が浅いので、外から飛来してくるものが多すぎて、深山奥山の様な生態系を保つことができません。又、森の一部を鎮守の森のように常緑樹林にする事はできますが、森全体としては里山にするしかないような立地条件なのです。従って、金沢区の「奥山構想」は、所詮無理な構想だと思っています。
それでは、本題に入りましょう。

イルカ丘陵

東京都多摩地域から神奈川県三浦地域への丘陵を空から見ると、「イルカ」の形に似ています。
かなりこじつけですが、高尾山が口の先で、鶴見川源流が眼、多摩丘陵が頭…と続き、私達お馴染みの円海山緑地が胴体の真ん中あたり、そして舞岡公園、鎌倉逗子の緑地、三浦半島の大楠山へと続き、小網代が左の尾、観音崎あたりが右の尾になります。
今から20年くらい前に、小網代の森でアカテガニをシンボルにして自然保護活動を始めたことで有名な、元慶応義塾大学教授「岸由二」さんが提唱し始めた言葉だと思います。
出展:「いるか丘陵の自然観察ガイド」:編著;山と渓谷社(1997)

つながりの森〜にぎわいの森

[緑の回廊]という言葉があります。ごく簡単に要点だけを言うと、緑が点々とあっても生息する生き物は限られます。点と点の緑を細々とでも繋ぐ事ができれば、そこを使って生き物たちが移動でき、絶滅の危機が少しでも減ると言う考え方から始まった提言です。
ガラパゴスではありませんが、陸の孤島のような限られた緑地では、長い年月の間に遺伝子が固定されてしまいます。親戚同士の繁殖が何代も続くことになりますので生命として劣性化してしまい、その中で何かの病気が発生して蔓延したら、その種は絶滅してしまうのです。一方で、緑地が続いていれば、たとえ毎年の移動距離が少ないものであっても、じりじりと分布を広げられるため、様々な環境に散らばることができます。そして、それぞれがその場所に似合う進化をするので、少しずつ遺伝子が変化してゆきます(例えば、メダカやホタルの遺伝子が川筋によって違うのは、川と川とがつながっていないためです)。そうすると、どこかの場所で絶滅しても、他の場所では残れる可能性が増してきます。

さて、「つながりの森・にぎわいの森」の話に入りましょう。
横浜市環境創造局政策課が、平成24年7月に「横浜つながりの森」構想を策定し、横浜市南部に位置する生物多様性の宝庫といえる円海山の周辺を「横浜つながりの森」エリアと位置付け、次世代を担う子供たちの自然体験フィールドとして市民全体で守り育てる取り組みを進めています。
私達の活動フィールドがある円海山山域には、「横浜自然観察の森レンジャー」や当会「かなざわ森沢山の会」をはじめとして、様々な自然環境保全ボランティアのグループが存在しています。その仲間達が連絡を取り合い協力することで、『円海山系を生き物たちのにぎわいが感じられる場所にできたらいいな』という構想のキャッチフレーズが、「にぎわいの森」です。
地図で示した「横浜自然観察の森」・「金沢市民の森」・「釜利谷市民の森」・「瀬上市民の森」・「氷取沢市民の森」などです。横浜自然観察の森と金沢自然公園を繋ぐスタンプラリー形式のハイキングが毎年行われているのもこの活動の一環です。
これらの森の中で、他のボランティア団体との具体的な連携はともかく、それぞれが目指すところは、
『今残されている緑地の自然をどうにかして残せないか』、という事です。

ところで、これらの森は緑地としては実に狭い範囲です。高台に登れば住宅地が目に入り、小学生の歓声が聞こえ、「毎度おなじみの・・・」〜「・・・十年前のお値段です」などという拡声器の声が聞こえてくるような、細くて狭い緑地です。それでも街路樹によるつながりよりは立派な緑地です。これを次世代、またその次の世代へと残せるように、また、様々な動植物が生活できる場であるようにと、細々とですが各地のボランティアグループが保全活動を続けているのです。実際にやってみると疲れますが、とても楽しい作業です。

圧倒的に増えた住宅地をはじめ、工場・大型商店などの中にある町中の公園などの緑と違うマスとしての緑地を、なるべく昔からの自然の状態にしておこうという事も一つの目的です。
我々に直接関係する事は、森の中に果実・園芸植物や外来植物を増やさないようにする事だと思います。
人間の生活域が近いから、そこで実った果実を小鳥たちが食べて森で糞をする。ハイキングに来た人が、これはゴミじゃないからと、ミカンやブドウの種子をポイ捨てする。そんなことが原因で森の中に今増えてきているのが、人間が好んで食べる果実類、園芸種のピラカンサ、南天、千両、万両、オモトなど。
そして本当は困った話なのですが、地主さんが植えているので止められない水仙などの球根類。瀬上池付近に植えこまれたヒメリュウキンカなど。そして本来は関東地方では冬を越せないため、たとえ鳥が種子を運び発芽したとしても生育できなかった「シュロ」が、人間生活による温暖化が原因で冬を越せるようになったのと、住宅地に植える人が増えたために、我が物顔で増えてきています。そして、それらの植物が、もともとあった自生植物の生息を邪魔しています。これらの困った植物たちに気が付いたら、ちょっと遠慮してもらうために、根っこごと除伐する事も大切なことです。

活動中のお約束;持ち出さない」・「持ち込まない
植物はその場の環境にあったものが生えて来ます。人為的に場所を動かすと数年しか生きられない場合がほとんどです。私たちのフィールドから植物を根から掘り取って持ち帰るのはやめましょう。どうしても欲しくなった時は、せめて種子を数個いただいてきて育てるだけにしましょう。
又、家庭で育てた園芸植物を里山に持ち込むのはやめましょう。

一方で、鳥達に眼を向けてみますと、30年くらい前は円海山にフクロウが何つがいも繁殖していました。オオタカ・ハイタカ・ツミなども繁殖していましたし、夏になるとサシバもやってきました。
森が豊かさを失ってからは、これらの鳥も年々減少し、現在ではほとんど見ることができません。
また動物で言えば、かつては居たムササビが現在では目撃情報ゼロになっています。
この現象は、住居(巣)や食糧(餌)がタイワンリスと競合するため、追い払われたものと考えられています。タヌキは人家にたまに現れると、かわいいからと餌付けをしてしまう人がいます。
タヌキだって、簡単においしいものに出会える方が良いので味をしめて通います。そのうち飼い犬とトラブルを起こし白癬病などを伝染されてしまい、病院に行けるはずもないので死んでしまいます。更に数が減ってきているところに、ハクビシンやアライグマが増えてきて駆逐されつつあります。

様々な生き物達「土中の菌類〜虫達〜鳥類〜小動物」を支えるには、色々な植物が必要です。
植物の種類が多ければ多いほど、それに依存する虫の種類が増え、その虫を食べる鳥たちの種類が増え・・・という連鎖が進んでゆくわけです。
私達は暗すぎる森に日が差し込むようにしたり、下草刈りをしたり、倒木を処理したり、汗を流して楽しんだりしながら、自然環境が荒れるのを少しでも遅らせ、「にぎわいの森」が益々にぎわうように、お手伝いをしているのです。 

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|ブラウザの閉じるボタン『X』で、画面を閉じてください|更新日:2022-8-01|原稿提供;NOKO|頁作成;MARU