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よみがえれ! 能見堂

能見堂跡地再生プロジェクト活動報告書
かなざわ森沢山の会が、微力ながらお手伝いをした活動なので、参考までに紹介しておきます

江戸時代の能見堂からの眺め

繁茂した樹木に囲まれている現在の能見堂跡

 この活動の核となった金沢街づくりの会は、1995年9月に設立され、金沢の歴史研究に基づく街づくりの提案をしようとするグループである。広報で募った参加者を案内して今は埋め立てにより消えてしまっている昔の海岸線を歩くなど、金沢を知るための活動をしてきた。
 2004年に次年度の活動テーマを検討した際に、金沢区のシンボルとして語られる金沢八景をもっと現実の景色として感じられる街にできないかという提案があり、金沢八景を現代に蘇らせようと考えた。しかしながら、金沢の景観は江戸時代とは大きく変わってしまっている。どのようにすれば蘇ることになるのかと考えたとき、求めているものは必ずしも八つの景色ではなく、かつての景勝の地としての金沢であることに気付き、江戸時代から昭和の前半にかけて注目を浴びてきた色々な場所を復活させて行くことに思い到った。そこまで考えた上で最初に手を付けるべきことを検討してみれば、やはり金沢の地を有名にした根元の地でありながらも放置されているように見える能見堂跡から手がけるべきであろうということになった。
 能見堂は17世紀に中国の僧、心越禅師(しんえつぜんし)がここからの眺めの素晴しさを詠んだことから金沢八景の発祥の地として知られており、江戸時代にはここからの眺めを歌川広重も描いている。しかしその後、泥亀新田の埋立て等で景色は大きく変わった。また、ここを通る山道は、明治時代までは金沢から保土ヶ谷を経て東京へとつながる主要道であったが、今の国道16号ができてからはその役割も大きく変わり、能見堂跡はこれらの社会環境が変化する中で忘れられた存在になっていった。かつての観光地だけあって、150年近く前の明治時代に能見堂から撮られた写真がある。それらと今の景色を見較べたところ、伸び過ぎた木を手入れすることにより昔の眺望が取り戻せることを発見した。また、ここからだと金沢の街の姿の変遷が手に取るように判ることも知った。景色がどのように変わってきたかが視覚的に実感できる場所である。
 永らく顧みられることのなかったこの場所を整備することによって、金沢区内の人達に再度自分達の街のあり方を考えてもらうきっかけを提供することができる。小中学生などには地域や歴史教育のための新たな場所を提供することになり、歴史好きの人達がその知識を持って能見堂跡に登れば、その眺めからこの街への理解と愛着がいっそう深まるものと思われる。かつてのような美しい景観は望むべくもないが、歴史的な眺望を取り戻して、再び人が集う場所としようというのが「金沢街づくりの会・能見堂跡地再生プロジェクト」である。
 2005年以降プロジェクトとして推進した結果、2010年3月にほぼ事業の完成を見たので、ここにその活動の経緯を記録しておく。
平成22(2010)年10月31日

報告書の詳細はこちらから  PDFファイル   WORDファイル

写真及び資料提供 : 金沢街づくりの会・能見堂跡地再生プロジェクト Shaw
頁作成 : maru♪

活動状況表紙へもどる|更新日:2022-8-2